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29歳でアルビレックス新潟シンガポールの社長に就任した是永大輔氏「会社を根本から変えた」~是永大輔氏インタビュー<前編>~

2016年09月24日 インタビュー Written by サッカーキング

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 SJNでは今回より、サッカー総合情報サイト「サッカーキング」のご協力を得て、記事提供を頂くことになりました。

 今回はその第1弾として、わずか29歳でアルビレックス新潟シンガポールの代表取締役に就任し、バルセロナやアジア各国で事業を展開する是永大輔氏のインタビュー記事をお届けします。

(出典:サッカーキング『29歳でアルビレックス新潟シンガポールの社長に就任した是永氏「会社を根本から変えた」』2016年9月14日)


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 話すときは笑顔を絶やさず、時折冗談も交える。本文では割愛したが、「アルビレックス新潟シンガポールをどう拡大させたいか」との問いには、「最後はアルビレックス新潟火星をつくりたい」と真顔で返してきた。

 何を考えているんだ、この人は……。でもこれも術中なのだろう。いや、純粋な想いなのか。いずれにしてもまんまと引きこまれ、長時間にわたって楽しく会話ができた。

 「1万倍の倍率」を勝ち抜いて望み通りの職業に就き、20代半ばでモバイルサッカーサイトの編集長に。そして、わずか29歳でアルビレックス新潟シンガポールの代表取締役に就任。さらにバルセロナやアジア各国で事業を展開する是永大輔氏のバイタリティーはどこからあふれてくるのか。自身の半生を振り返ってもらい、その根源を探った。

――サッカー業界で働くようになったきっかけを教えてください。

「もともとサッカーが好きで、それを仕事にしたかったんです。好きじゃない他のことにできるだけ時間は使いたくないし、好きなことを仕事にして生活できたら一番いいなと。仕事の成果は『情熱×時間』だと思っていますし、実際、楽しい仕事なら疲れないのでいくらでもできますよね」

――その思いの通りに、大学卒業後は横浜FCのオフィシャルライターになり、さらにモバイルサッカーサイトの編集長も務めました。

「ちょうど2002年日韓ワールドカップ(W杯)の年で、一般企業に就職するとリアルタイムで試合が見られなかったんです。一生に一度かもしれない自国開催のW杯だったので何としても見たかった。それで、サッカーを仕事にするしかないと」

――大卒1年目からオフィシャルライターを務めたわけですが、文章を書くことは得意だったのですか?

「どこかで学んだりは特別していなかったんですけど、演劇学科を専攻していて脚本を書いたりしていたんです。あと自分でホームページを作って、今で言うブログのような感覚でサッカーのことをつらつら書いていたりしました。その時はただの自己満足でしたけど、これが仕事になってお金になったら、こんな楽しいことはないなと思っていました」

――どのようにしてそのポジションを勝ち取ったのですか?

「普通に応募して、課題を提出しました。確か、テーマに沿った文章を書いて出したんですけど…」

――どんな文章だったのですか?

「今思うと気持ち悪い内容ですね(苦笑)。ポエムみたいな。サッカーのポエムを送って採用してもらいました(笑)」



――(笑)。ではモバイルサイトの会社にはどのようにして入ったのですか?

「インターネットのアルバイト募集を見て応募したんです。1週間ぐらい前に募集を締め切っていたんですけど、電話して『1回だけでいいので会ってください』ってお願いして。サッカーの仕事はチャンスが多いわけではないので必死でした(苦笑)」

――どちらも難関だったと思います。

「横浜FCは倍率100倍ぐらいで、モバイルサイトの方も100倍ぐらいだったそうです。2つ受かるには、単純計算すると100倍×100倍で1万倍の倍率なので、そりゃもう勘違いしちゃいましたね。『俺、この仕事に向いてるな』って(笑)。若いころのそういう勘違いって大事ですよね。『俺は天才だから何でもできるんだ』って変な勢いが出ますから(笑)」

――モバイルサイトの編集長になられてからは、どんなことをしたのですか?

「原稿を書いたり、企画を立てたり、物販や広告に絡んだり、一通りやりました。そのうちに海外出張の許可も下りるようになり、最終的には年間の3分の1ぐらいは海外にいたと思います。編集長なので自分で行き先を決められるから、日本代表を取材して、ヨーロッパの試合も1部リーグだけじゃなく2部も3部も見に行って、原稿を書いて。こりゃ最高だなと(笑)」

――最高ですね(笑)。

「と思っていたら、うちの会社が大手の企業に買収されたんです。となると、まず自分の取材活動にツッコミが入るだろうなと(笑)。それで、海外で取材以外の仕事をつくることを考えました。一番好きなクラブはバルセロナなので、そのバルサと一緒にできる仕事をつくって、誰から見ても正当な出張の機会をつくろうと動きました」

――バルサの日本語版公式モバイルサイトですね。

「そうです。取材と称してインタビューさせてもらったバルサのスタッフに、公式モバイルサイトをさり気なく提案したら、ちょうどいいタイミングだったようです。バルサはヨハン・クライフ監督が率いていた“ドリームチーム”のころから好きで、海外で初めて行った場所もバルセロナでした。それから何度も足を運んで、最終的に契約書にサインする時は、当時のジョアン・ラポルタ会長のサインの横に、僕のサインですからね、とんでもなく勘違いしました(笑)」

――バルサを皮切りに他クラブの日本語版公式モバイルサイトも運営していました。

「そうですね。海外のクラブが日本を含む外国から定期的な収入を得る、こうしたビジネスモデルはそれまで世界中探してもなかったと思います。それをバルサの成功例を聞いて『面白い』と思ってくれていたのが、マンチェスター・ユナイテッドでした。こちらから飛び込みでファクスを1枚送ったら返事をくれて。すぐにマンチェスターに飛んで契約しました。そしたら今度は、リバプールから連絡が来て『うちもやりたい』と。このあたりはとんとん拍子でした。

――2008年に転機を迎えます。29歳にしてアルビレックス新潟シンガポールの代表取締役に就任しました。

「人づてに『アルビレックス新潟シンガポールの社長を探している』と聞いたので、『やりましょうか』って手を挙げました」

――軽いノリで引き受けましたね(笑)。

「20歳の時に書いた『10年後の自分』という100個ぐらいの目標の一つに『サッカークラブの社長になっている』って書いていたんですよ(笑)。当時は30歳でサッカークラブの社長なんて誰もいませんでしたが、なりたい思いはもちろんありましたし、メディアとしてだいたいのことは経験できた実感があったので、タイミングがとてもよかったです」

――引き受けた側もそうですが、クラブを託した側も思い切った決断だったと思います。

「そうですね。ただ、あの時クラブは全くうまくいっていなかった。毎年何千万というお金が出て行って、つぶれる寸前。どん底の状態。だからギャンブルができたのかもしれません」

――代表取締役になって一番最初に取り組んだことは?

「これは全ての企業において同じだと思うんですが、やっぱりコストの部分。コストを整理して管理を徹底しました。圧縮できるところは圧縮し、選手のサラリーも見直し、いろいろなところを変えていきました」

――その成果が見えたのは?

「1年後です。初年度で黒字化しました」

――素晴らしい成果ですが、もともと経営学などを勉強していたのでしょうか?

「よく聞かれるんですけど、編集長時代に事業部長的な役割も担っていたので、お金を管理したり、数字を見たりという慣れはありました」



――黒字化まではかなりの苦労が想像されます。

「最初は大変でしたよ。外から見たら内部事情は分かりませんから、試合に負けると『是永が来たからだ』なんて言われることもザラにありました。暗いところに連れ込まれたこともあります(笑)」

――周りには知り合いなどもいたのですか?

「それがいなくて(苦笑)。僕が最初に行った時、現地のスタッフたちはまず、口をそろえてサラリーのアップを要求してきました。会社が苦しいのを分かっていながら『給料を上げてくれ』と。もしかしたら口裏を合わせていたのかもしれない。これはしんどかった。僕はここの事情や状況、仕事内容を何も知らず、彼らがいないと何もできないから、要求を飲まざるを得なかったんですね。当時のスタッフたちはもういなくなりましたけど、あの時は人が信じられなくなりました」

――そうなんですね。ちなみに語学などはもともとできたのですか?

「年間3分の1くらい海外に行っていたので、ある程度までは勝手にしゃべれるようになりました。英語と、スペイン語もちょっとだけ話せます。と言ってもビジネス英語は完璧ではないので、今でも苦労することはありますが、いちいち気にしていたら前に進めません(笑)」

――コスト管理の他に取り組んだことは?

「『ゲームチェンジ』です。会社の存在意義を根本から変えて目的を明確にしました。そしてスクールなど既存事業の拡大とシナジーを生むいろいろな事業に着手しました。どんな事業にも寿命はあるので、常に新しいことをやっていかないといけない。バルセロナの留学事業もそうですけど、マレーシア、ミャンマーでスクールを実施しています。タイとカンボジアでも事業を行っていましたが、難しい状況に直面したので現在は一旦休止しています」

――次はどのような展開を視野に入れているのでしょうか?

「まずは日本のスポーツや文化を、アジアだけでなく、世界中の少しでも多くの人に知ってもらいたいですね。そのための活動を続けていきます。別にサッカーにこだわる必要もないと思っています。チアダンス事業もとても伸びていますし。さらに例えばインドだったらクリケットかもしれない。ルールは知らないですけど(笑)。その国に合ったスポーツで事業を展開できればと思っています」

――積極的に海外展開している理由は?

「シンガポールって小さい国なんですよ。やれることは限られているので、可能性を外にも求めないといけない。シンガポールでこけたら会社が終わるってならないように、リスクヘッジの意味も込めていろいろなところに進出しています」

――新卒でサッカー業界に飛びこんだ時、今の自分の姿を想像していましたか?

「20歳の時に100個ぐらい書いた『30歳の自分』の中にある、『サッカーの仕事をしている』、『海外に住んでいる』、『日本と海外を往復する仕事をしている』、『バルセロナと仕事をしている』とか、仕事に関してはほとんど30歳になる前にかないました。かなわなかったのは『20億円持っている』とか、『フェラーリに乗っている』とか、お金に関わることやプライベートのこと(笑)。ありがたいことに仕事に関してはほとんど思った通りに進んでいますね」

(後編へ続く⇒) https://sjn.link/news/detail/type/report/id/73

【了】

安田勇斗●文 text by Isato Yasuda
兼子愼一郎●写真 photo by Shinichiro Kaneko

記事提供:サッカーキング


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アルビレックス新潟シンガポール Managing Director & CEO
是永大輔(これなが・だいすけ)

携帯電話サッカーサイトの編集長として日本最大の会員数を集め、ジャーナリストとしても活躍。
バルセロナ、マンチェスター・ユナイテッド、リバプールとの新規事業を立ち上げた後、2008年にアルビレックス新潟シンガポールCEO兼チェアマンに就任。
以降、独立採算で黒字経営を続け、売上規模を5倍に拡大。
スペイン、カンボジア各国リーグへの参戦や、マレーシア、タイ、ミャンマーなどにもビジネスを展開。
クラブハウスにカジノを併設するなど革新的な多角化事業を展開し、注目を集めている。
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