2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の行く末
2015年11月22日 コラム 大会/イベント運営 Written by 今 昌司
2年前、2013年9月8日の早朝、当時の国際オリンピック委員会(IOC)会長ジャック・ロゲ氏が「トーキョー」と読み上げた瞬間、2020年の夏季オリンピック、そしてパラリンピック大会の開催地が「東京」に決定した。おそらく多くの日本人が、56年ぶりとなる東京でのオリンピック開催の喜びを、大なり小なり感じたことだろう。マスコミが報道をにぎわせていたこともあるが、スポーツファンであれば当時、少なくともネガティブに捉えた人はまずいなかったように思う。しかし、あの瞬間から月日がたち、2020年に向けてのカウントダウンが進むにつれ、あの歓喜は薄れ、目の前にはさまざまな現実が突きつけられている。特に、新国立競技場の建設をめぐる一連の騒動をはじめとした競技会場計画の見直しには、スポーツファンならずとも不可解な視線を向けているのではないだろうか。
去る6月12日、新聞のスポーツ面に、こんな小さな記事が掲載された。
「日本サッカー協会は、理事会において、2020年オリンピック・パラリンピックの主会場となる新国立競技場について、招致活動の際に国際公約として施設条件を守るように関係者に要望していくことを決めた」
文面だけ見れば、一見変哲もない言葉が並んでいるように見えるが、「国際公約」という言葉には、注目せざるを得ない。招致委員会がIOCおよび世界に示した開催計画内容に対する評価こそが2020年のオリンピック開催を実現させたにもかかわらず、今回の一連の競技会場計画に関する問題は、その評価を消し去ろうとしている。きっかけは、昨年12月にIOCが決議した「アジェンダ2020」である。
2022年の冬季オリンピックの開催地は、当初の6都市から4都市が財政問題から辞退し、カザフスタンのアルマトイと中国の北京という、アジア圏内の2都市のみの立候補になっていた(結果は、北京に決定)。2024年の夏季オリンピックへの立候補では、最終的に5都市が立候補したものの、数多くの都市が立候補を取り消したり、あるいは立候補を検討したものの取り下げている。北京やソチでは、国家を挙げて膨大なインフラ整備費用を投下した一方で、バンクーバーやロンドンは、既存施設や仮設施設の活用によって膨張する開催関連費用の抑制に苦慮していた。来年のリオデジャネイロも、昨年のサッカー・ワールドカップに引き続き、多額の財政出動に対する批判が根強く残ったままである。3年後に控えた韓国・平昌での冬季オリンピックも、インフラ整備に絡む問題は多数噴出している。メディア報道では、スポンサー収入が当初見込んでいた目標額の半分にも満たないため、大統領自らが国内主要企業に支援をお願いしている、とも伝えている。オリンピック開催にはお金が掛かる。そうした風潮を払拭(ふっしょく)するために、IOCの新会長、トーマス・バッハ氏の旗振りによって、IOCはオリンピックの憲法ともいえるオリンピック憲章を改定してまで、オリンピック大会の開催基準を大幅に緩めたのだ。その具体的指針が「アジェンダ2020」である。これまで、オリンピック大会には一つの都市に開催権が与えられてきた。しかし、「アジェンダ2020」では、開催都市以外の都市での競技開催も積極的に容認することを示した。それは、開催国以外の国での開催も容認することに言及している。開催都市以外での競技開催を容認することは、既存施設を使うことの可能性を高めていく。30を超える競技会場を一つの都市に求めることは、当然、会場施設の新設を必要とし、多額の財政負担を招くことになる。それを解消する機会をつくり出そう、というわけだ。しかし、開催費用を抑制することだけで、オリンピック大会の開催価値を、開催都市、国に浸透させていくことはできるのだろうか。こうした競技会場問題が表面化する以前に、盛んに叫ばれていた「オリンピック・レガシー」に関する論調はなんだったのか。少なくとも、最近、「レガシー」という言葉をマスコミ報道の中に見ることはない。
開催費用を抑制して、財政負担の少ないオリンピック大会を実現していくことは、決して間違ったことではない。しかし、最も多額の費用が掛かる競技会場の新規建設中止が唯一の解決策かのように、招致段階の計画や理念を曲げてでも突き進んでいる現在の姿は、「競技会場施設さえなんとかなれば、オリンピックは開催できる」、と言っているようにも見えるのは私だけであろうか。結果として、競技会場のいくつかは都内を出て、埼玉、千葉、神奈川と、まるで“関東オリンピック”とやゆされるかのように会場エリアを拡大している。そこには、新たな問題が潜んでいることを組織委員会は認識しているのかどうか。そして何よりも、「アジェンダ2020」の趣旨とは全く関係のない自らの都合によって競技会場を変更した事例を忘れてはならない。全ては、計画性と戦略性の欠如。開催権を勝ち取った招致計画の内容を立案した時点にこそ、最悪の問題はあると考える。
競技会場が広域に分散したことによって、選手村、メインメディアセンター、国際放送センター、さらには多くのVIPの滞在ホテル、競技役員らの滞在ホテルを基点とした輸送に関する課題を、きちんと精査した上での会場変更なのかどうか。場合によっては、移動距離による選手たちへの負担を軽減するために、競技会場へのアクセスを考慮した別の宿泊施設を設定する必要にも迫られる。このことは、一部競技において、先のロンドン大会でも大きな論議となっていた。ちなみに、新たにセーリング競技会場に決まった江の島は、1964年のオリンピック時にも同競技を実施している。その時は当時の大磯ロングビーチホテルが選手村の分村となっていたが、現在の基準で、選手村と同等のサービスを提供できる機能があるホテルが、会場周辺にあるのだろうか。このことは、変更されたすべての競技会場にもいえる。
そもそも、このセーリング競技の会場変更は、お金の問題でも国際連盟の要望でもない。羽田空港近隣上空域の空撮用ヘリの飛行の問題が浮上したからにすぎない。千葉の幕張メッセに3つの競技が移されたのも、当初予定の東京ビッグサイトに設定していた国際放送センターの規模が小さいことを指摘されたからだ。全ては、大会運営上の計画精査の不備が生み出したものだ。単純な計画設計能力の低さが原因にあるといえる。
「選手村から半径8キロ圏内に85%の競技会場があるコンパクト五輪」。この招致計画時の理念は、変容という以上に崩壊している。舛添要一都知事は、「コンパクトというのは財政を指すのだ」、とも言っていた。そもそも、「コンパクト」とは、選手ら関係者の移動の負担を軽減し、何よりも余計な交通渋滞などを引き起こすことなく、都民の日常生活に影響しない大会運営を実現する、という考えに基づいたものだったと私は記憶している。競技会場が正式に決まろうとしているいま、組織委員会にこれから求められるのは、当初計画の「コンパクト」という概念を運営機能としていかに代替策を具体化していくかにある。東京都や組織委員会の運営能力が問われるのだ。そして、それは単純にお金を惜しむことでは、解決策が導き出せないものである。
【了】
今昌司●文 text by Masashi Kon
専修大学法学部卒。広告会社各社(営業、スポーツ事業担当)、伊藤忠商事(NBA担当)、ナイキジャパン(イベント担当)などでの勤務を経て、2002年よりフリーランスにて国際スポーツ大会の運営計画設計、運営実務の他、スポーツ関連企画業に従事し、現在に至る。その他、13年より2年間、帝京大学経済学部経営学科で非常勤講師、各所でスポーツマネジメント関連の臨時講師などを務める。
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