「3週間の出張で得られたのは一言のみ」。木崎伸也が語るスポーツライターという仕事。 ~木崎伸也氏インタビュー/後編~
2016年12月13日 インタビュー その他 Written by AZrena
SJNでは、知られざるスポーツの裏側の情報を提供している「AZrena(アズリーナ)」のご協力を得て、記事提供を頂いております。
多くの人が憧れるスポーツ業界。その中でも特に人気なのが“スポーツライター”という職業ではないでしょうか。選手や監督など、現場を動かしている人にアプローチし、自分の言葉で情報を世の中に発信していく。スポーツの現場に密接に関わるこの仕事に憧れる方は多いことでしょう。
前編では、木崎伸也さんがスポーツライターとなった経緯を中心にお話いただきました。後編となる今回は、その職業を名乗れるようになって“以後”のお話を伺います。選手に付きっきりで取材をすることの大変さや、海外と日本の違いなど…、この世界を目指す人にとっては知っておくべき情報であることは間違いありません。そして、11月11日に上梓したサッカー日本代表・本田圭佑選手の取材における裏話も明かされています。
前編はこちら⇒https://sjn.link/news/detail/type/report/id/108
(出典:AZrena『「3週間の出張で得られたのは一言のみ」。木崎伸也が語るスポーツライターという仕事。』2016年11月29日)
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■ドイツにおいてジャーナリストは特別な仕事
ドイツには2003年1月から2009年1月までいたのですが、そこの生活で感じたのは、向こうのジャーナリストは『取材させてください』というようなへりくだる態度は全くないという部分です。相手と対等だと思っていて、みんなが知る権利を自分たちは代表して行使している立場だという姿勢が強く、弁護士や会計士みたいな“特別な資格を持った人”と同じような感覚で仕事をしているんです。これはよく話す例なのですが、高原選手がビルトの記者に、『住所を教えてくれ』って聞かれたことがありました。
(バイエルンのドーハ合宿でグアルディオラの練習を取材)
それに対して『プライベートだから言わない』と彼は答えたんです。ただ、次の日の新聞を見たらスポーツ欄の一面で住んでいる家が出ていて、間取りまで書いてあった。それを受けて、高原選手はチームの広報に『ビルトの記者とは仲良くしておけ』と言われたみたいです。“しゃべらないのであれば、こっちですぐに調べて出すぞ“というようなメッセージだったと思うのですが、そういう事実も目の当たりにしたわけです。
攻めの姿勢というか、報じる権利の義務感というか、権利意識に対して勉強になったというか…、感じるものは大きかったですね。だから、常にビルトの記者のイメージが頭の片隅にあります。そこまでやらないにしても、記者として読者の権利を抱えているということを、一番に学んだかなと思います。
(マインツの練習場で岡崎慎司選手に取材。陸上から取り入れた走り方を聞いた)
■日本へ帰国後、収入は半分に
ドイツで仕事をしている中でマンネリ感が出てきて、自分の物差しができてしまい、それを多くの人に当てはめて物事を見るようになってしまったことから、ここで変えないといけないなと思い、帰国することに決めました。
ただ、一番の悩みは帰ってから仕事があるかどうか、というところでした。実際に仕事はあったのですが、収入は半分くらいになりましたね。そこで収入のありがたみをすごく感じました。ドイツにいれば通信員としてベースの給料が1日1万円。それプラス、フリーとして他の仕事も好き勝手やらせてもらえていたので。 そういうのがなくなった中、原稿の依頼が来て1000字で1万円もらえると言われると、その重みを感じて、かつ「10万円稼ぐのに、一体何文字書くんだろう」と。そういう不安からスタートしました。
そこから、どこを取材しようか考えて、運良くドイツ人監督である(フォールカー・)フィンケさんが浦和レッズに就任したのでその現場に行ったり、帰国して風間(八宏)さん(現・川崎フロンターレ監督)が指揮を執っていた筑波大学に行き始めたりしました。
その後、僕の原稿を読んで声を掛けてくれた週刊東洋経済に勤めていた佐々木紀彦さんという方からお話をもらって、東洋経済でも連載を始めたんです。そして佐々木さんがNewsPicksを立ち上げるという話になって、“今までのようにフリーの活動をしてもいいのであれば”という条件で参加をさせてもらいました。
そして、今年の4月末にNewsPicksを辞めました。自分で新しいメディアを立ち上げるためです。今は、来年2月オープンを目標に準備しているところです。
■本田圭佑を取材したことで感じたこの仕事のやりがい
今回、本を出した本田圭佑選手と初めて会ったのは2008年の1月です。オランダのVVVフェンロに所属していた時、試合後にあいさつをしたのですが、超オープンな人で。『名前は何と言うんですか?』と聞かれて「木崎です」と言ったのですが、『いや、下の名前で!』と。いきなり来た僕に対してヨーロピアンな態度を取っていて、「なんだこの人は!」と思いました。そこが付き合いの始まりです。
僕よりもっと本田選手と仲の良いライターさんもたくさんいたんです。でも2010年のワールドカップ(W杯)以降、急にしゃべらなくなった彼に対して、『なんでしゃべらなくなったのかを、モスクワ(※)に行って聞いてきてくれ』と僕がNumberの編集部に言われました。これが、今回出版した本のそもそもの始まりでもあります。(※当時、本田選手はロシアのCSKAモスクワに所属)
その中でいろいろありました。モスクワに行こう思ったらリハビリで彼がバルセロナに行っていたことがあって、それでも編集部からは『探してきてくれ』と言われたんです。でも、具体的な居場所についての手掛かりは全くない。ただそれでも、全てのジムに行けば会えるはずだと思ったし、最悪、病院に張り込んでいれば治療に来た時に会えると思いました。
そこで、ある病院に張り込んでやろうと思ったら、スポーツ選手っぽい人が出入りするところがあったんです。そこをのぞいてみたら本田選手がバーベルを上げてトレーニングをしていたんですよ。そういうこともありました。ただ、彼がしゃべらなくなって以降は連絡先も知らなかったですし、事務所ともコンタクトは取っておらず、突撃で取材したことを書いていた感じです。正式なインタビューは一回もしたことがないですね。全部、練習終わりで待って聞いたり、空港で待って聞いたり…。全て直撃取材でした。
(CSKAモスクワの練習場で本田圭佑選手を直撃取材)
話さない選手に話してもらうためには、もうひたすら粘るしかありません。そこで得られるものは多いけど、失うものもあります。いろいろな仕事を断っていかなければいけないですから。例えば、モスクワに3週間滞在して一言しかしゃべってもらえないこともありました。その間、他の仕事はできない(笑)。しゃべってもらえない人に対して、全てをささげられるかというところです。毎回、捨て身でした。モスクワに滞在する3週間では観光くらいしかできない。一応、毎日練習場へ行くんですけど、練習場は遠いから疲労困憊(こんぱい)になるし、行ってもほぼしゃべってくれない。よくやっていたな、と思います。
その滞在で言われたのがたったの一言だけです。最終日に車のウインドーから顔を出して、『俺のコメントなしの原稿を楽しみにしているよ』と言われたんですよ。でもそれで書いたNumberの原稿は結構インパクトがあったようで、今でも多くの人から『あの記事を読みました』と言われます。
2011年にカタールで行われたアジアカップで日本が優勝した時、ドーハの空港から本田選手はCSKAモスクワの合宿に向かったのですが、旅立つ直前、1人でラウンジにいて、彼の前に座ってコーヒーを飲みながら話をしてくれたことがありました。その大会で彼はMVPになったこともあって、空港のスタッフも入れ替わり立ち替わり記念撮影を申し込んでいました。大会MVPとなった選手を独占取材できているその瞬間はものすごく幸せだったというか、絶世の美女とデートしていると例えると変ですが、それよりもすごく特別な空間でしたね。この仕事をやっている中で、そういった瞬間にやりがいや達成感を感じます。
■スターに依存しないスポーツメディアが求められている
今後、スポーツライターという世界には、元プロ選手が入ってきてもいいと思っています。ドイツには4部や5部でプレーしていた記者がたくさんいます。 「こういう人に目指してほしい」という話で言うと、この仕事は究極的には誰でもなれると思いますが、自身の強みを仕事の中で生かせる人がいいかなと。すごい人当たりが良いのであれば選手にうまく食い込めるし、あまり人が得意じゃないけど粘り強くやれるのであれば取材ができる人がいる。全方位的に人と仲良くなれるという人も、そういうやり方で選手とつながれることもできると思いますし、僕みたいにほぼ一人に深く突っ込むということもあります。ただ、その場合は得るものがあれば失うものもあります。
問題点と合わせて言うと、スポーツはスターに依存する部分がどうしてもあって、スターがいないと雑誌が売れなかったり、視聴率が稼げなかったりします。スターがいないと結局自分たちがどうにもできないものがある、というのが今の日本のスポーツメディアです。でもヨーロッパのサッカーメディアを見るとスター依存ではなく、選手に関係なく成り立っている部分があります。そういう世界を創れる人材が入ってくるといいかなとも、感じています。
僕は長谷部(誠)選手や本田選手の良さを最大限に引き出す仲介役というか、そういう役割に徹していたし、僕らスポーツライターはそういうものだと思っていました。ただ、そうじゃない、スターに依存しない人がスポーツライター界に出てくると、日本スポーツ界ももっともっと成熟するかなと思いますね。具体的にこれ、ということは明示できないのですけど…。
選手とともにライターもステージからフェードアウトしていくべきだということは少し、思っているんです。というのも、新鮮な感覚がどんどん失われていくから。例えば金子(達仁)さんが中田英寿選手を追って、金子さんが中田選手の文章を書くと。その文章はすごく好きでしたし、一時代だったと思います。次に本田選手が出てきて僕だけじゃなくいろんな人が書いている中で、多少縁の深い書き手がいたら、次にまた新しい選手が出てきた時に、塗り替えていかないといけないと思うんですよね。NewsPicksに参加したのもそういう理由がありました。そして、2014年を自分が取材する最後のW杯にしようというのは思っていました。そこで、新しいことに挑戦をしたいなと。
また、メディアの規模がすごく小さくなっていっているのを感じていたというのもあります。だからこそ日本市場じゃなくて海外市場に目を向けたメディアをやりたいなと思っていて、選手に食い込んでドキュメントを書くというのはここで一区切りしようかなと思ったんです。次世代の選手は次世代の書き手がやった方がいいと思っているので。今の抱負は、オーガナイズする立場として海外を市場としたメディアに挑戦したいという部分ですね。
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木崎伸也(きざき・しんや)
スポーツライター
1975年1月3日生まれ、東京都出身。中央大学大学院在学時にスポーツライター・金子達仁氏が開いた金子塾に第1期生として入塾。2002年にオランダへ渡り、その後はドイツへ拠点を移し、2009年まで現地で活動し各媒体へ記事を寄稿してきた。「サッカーの見方は1日で変えられる」(東洋経済新報社)、「革命前夜」(カンゼン)などの著書がある。11月11日に「直撃 本田圭佑」(文藝春秋社)を上梓した。
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【了】
竹中玲央奈●文 text by Reona Takenaka
記事提供:AZrena
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