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オランダナショナルチーム専属アナリスト・白井裕之氏が語る“サッカー分析”「オランダサッカーへの憧憬」~第1回~

2016年12月07日 インタビュー Written by サッカーキング

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 SJNでは、サッカー総合情報サイト「サッカーキング」のご協力を得て、記事提供を頂いております。

 今回はその第5弾。オランダの名門アヤックス、およびオランダ代表の育成年代の“専属アナリスト”として活躍する白井裕之氏のインタビュー記事をお届けします。

(出典:サッカーキング『オランダナショナルチーム専属アナリスト・白井裕之氏が語る“サッカー分析”「オランダサッカーへの憧憬」/第1回』2016年12月2日)

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 ヨハン・クライフやマルコ・ファン・バステンといった象徴的な選手が礎を築き、今もなお脈々と受け継がれているものこそが、オランダサッカーである。彼らはいつの時代でも唯一絶対の哲学を世界に示し続け、そして人々をフットボールの虜にしている。

 現在、「アヤックス育成アカデミーユース」、「オランダ代表U-13、U-14、U-15カテゴリー」という2つの職場で“専属アナリスト”として活動する白井裕之氏も、オランダサッカーに魅了された一人である。白井氏は少年時代、地元・愛知県内のクラブチームでプレーしながら、名門・アヤックスのサッカーに衝撃を受け、オランダへの思いを募らせていく。そして18歳で指導キャリアをスタートすると、その道をさらに突き進んでいくために、大学卒業後の24歳で渡蘭した。

 そこで気付かされたのは、オランダがオランダたるゆえんである。現場で指導経験を重ねた後、アヤックスで分析を担当する“アナリスト”という専門職に出会い、「サッカーを分析し、サッカーの内容を指導できる」という、確立された“サッカーの仕事”の価値を思い知る。

 「サッカー分析」の前提となるのは、指導者が扱う“用語”の意味と言語が統一され、全員がピッチ上で起きる事象に対して共通認識を描けること。指導者のオリジナリティーの部分である「戦術」とは、そうした分析の土台があって初めて築いていけるものなのである。

 これは、なぜオランダが世界的なスタープレーヤーや名チームを生み出すことができるのか──という問いの答えの一つであり、非常に重要な考え方に違いない。白井氏は、この分析こそが、現在の日本サッカーにおいて絶対的に足りていないものだと痛感している。

 オランダサッカー協会(KNVB)で推奨される分析理論をベースに、より現場で共有できるものへと体系化させた白井氏独自の枠組みが、「The Soccer Analytics(ザ・サッカーアナリティクス)」だが、これは“新理論”ということではなく、オランダ人に学び、日本人の指導者が共有しておくべき、“基本理論”なのだという。

 指導者のみならず、サッカーに携わる全ての人に触れてもらいたいインタビューの第1回は、白井氏がなぜオランダサッカーに魅せられ、そしてどのようにして現在のポストを手に入れたのか、そのルーツをひも解いていく。

■高校卒業後に指導者の道へ

──白井さんがサッカーを始めたのはいつですか?

「小学校1年生の時です。『キャプテン翼』を見て、翌日にサッカーボールを買いに行きました(笑)。それで5年生までは、通っていた名古屋市内の小学校の部活でサッカーをしていました。それから、少し離れたところにある千種FCという、もう35年くらいあるクラブチームに行きました。サッカーが好きな人を誰でも受け入れるクラブで、いろんなところから人が集まってくることが大きな刺激でした。新しい世界、新しい友達が広がって、振り返ってみると、そのころのことが現在に通じているのかなと思います。その後は、中学校でもクラブのジュニアユースに残って3年間指導を受けました」

──高校でもさらにサッカーに打ち込まれていたのでしょうか?

「サッカー推薦で県内の高校に進んで3年間続けました。Aチーム、Bチームがあり、1年生から3年生の夏のインターハイまではAチームのメンバーに入っていたのですが、最後の選手権を前にして、監督と衝突してしまいました(笑)。

 それまで、左サイドハーフなどの攻撃のポジションだったのですが、いきなり左サイドバックにされたんです。それで、アシスタントコーチは僕を攻撃的なポジションに推してくれたのですが、監督はそうじゃないということで、そもそも意見が割れていました。その状況に困惑してしまい、自分から降りてしまう形でBチームに行くことになりました。でもそれが実は、大きな出発点となりました」

──どういうことでしょうか?

「Bチームには監督もコーチも専属でいるわけではなく、みんなでトレーニングを考えていました。そこで僕はリーダーとして指導のようなことをする立ち位置でした。そのころ、空いた時間には、中学時代までを過ごした千種FCに戻って子どもたちと遊んだり、トレーングキャンプに同行したりする中で、指導者って面白いなという気持ちが膨らんでいったんです。

 千種FCの監督はオランダ代表とかアヤックスが大好きな方で、クラブでもアヤックスを模倣したサッカーをしていました。それでUEFAチャンピオンズリーグを優勝した時の、準決勝のバルセロナ戦の試合映像を見せられたのですが、それが僕自身にとっても決定的なものとなりました。そのサッカーに衝撃を受けて、オランダで勉強したいと考えるきっかけとなりました」

──それで高校卒業後に指導者の道に進んでいますが、それを決めた理由はどこにあったのでしょうか?

「一つは、子どもたちとサッカーをしていた時に感じた『楽しい』という気持ちですね。大学には進んだので、そのままサッカーを続けることもできたのですが、高校時代には一人で戦っている感じがすごくありましたし、自分でプレーするのはもういいかなと」

──では大学ではプレーせずにコーチングに専念していたのですか?

「そうですね。千種FCのジュニアユースで週に4、5回くらい活動していました。大学では商学部だったのですが、何の授業をしていたのか覚えていないくらい、サッカーの本ばかりを読んでいましたね(苦笑)。それ以外の空いた時間にアルバイトをしていました」

──商学部だったのですね。

「オランダでもよく、『何で体育学部に行かなかったんだ』と言われます(笑)。でも実際、体育会系の世界があまり好きではないんです。小中学校はクラブチームで先輩後輩の関係はなくて、先輩でも下の名前で呼んでいました。ですから、高校時代はそれが一番嫌でしたね。敬語で話をすることもそうですし、マッサージをさせられたり。1年生の時には、6時間目が始まるといつも、行きたくないなと思っていましたから……」

──指導者としてはどのようなことを目指していたのですか?

「まずは選手との関わり合いのところです。相手は12歳~15歳で、僕は18、19歳と年齢も近いですから、上から物を言うのではなく、一緒にやるということが根底にありました。話すことも上手ではなかったので、トレーニングで実践することを念頭に置いていた感じがします。

 チームとしては、アヤックスの3-4-3でボールを回すサッカーを監督が根付かせていたベースがあるので、それを変える必要はなく、僕としては、アシスタントというか、友達のような存在だったと思います。監督に言えないことであるとか、自分が高校時代に思っていた違和感などの部分でケアをしていくような感覚です」

■サッカーから離れ滞在に専念した2年間

──大学卒業後、24歳でオランダへと渡っていますが、その間は何をされていたのでしょうか?

「千種FCで給料をもらいながら仕事をしていたのですが、オランダで生活するための費用を貯めることに専念していました。朝3時半に市場にトラックに乗って行って、競り落とされた鮮魚や野菜を名古屋市や郊外のスーパーマーケットに配送していました。そこで14時ごろまで働いて夕方にクラブで指導をして、帰宅して21時に寝るみたいな生活です。オランダに行こうと決めていたので就活はせず、スーツも買いませんでした。就職説明会に行ったら流されてしまうと思っていたので、絶対に行かなかったですね」

──オランダに行くことを決めたのはいつごろだったのでしょうか?

「大学3年生の時です。実は姉がインターナショナルな人で、留学経験もあって外国の友達も多かったので、初めての海外でアテンドしてくれる人が欲しいということでトルコ系オランダ人を紹介してもらって、大学3年生の3月に1週間くらいオランダに行きました。そこで、お金や生活面のこと、英語ではなくオランダ語が必要であることなど、実際に体験して情報を集めたのですが、その時にはもう決めていました」

──そしてオランダへ行き、2011-12シーズンにアヤックスのアマチュアチームにアシスタントコーチ、ゲーム・ビデオ分析担当者として入るわけですが、それまでの10年弱の期間は地元クラブなどで指導経験を積まれていったのでしょうか。

「指導者としては、最初にオランダサッカー協会指導者ライセンスTrainer/coach 3という一番低いライセンスを取得したのですが、実際には、それ以前のオランダに滞在するところに時間が掛かりました。オランダにはワーキング・ホリデーや語学留学のビザ発行がないんです。スペインやドイツなどでは、語学留学でも1年間のビザを取得できたりしますが、そうした意味でもハードルが高いので、オランダで指導の勉強をする人が少ない理由ではないでしょうか。僕もいろんな知人にお願いをして書類を集めたのですが、街に一つずつある入国を管理するイミグレーションのオフィスに毎日通い過ぎて、そこの人に『トレーナー』いうあだ名を付けられました(笑)。

 最後の方は、かなり理解してもらえて、逆に『こういう方法だったら大学生としてオランダに入れる』と提案してもらえました。観光ビザでは90日間しかいられないですし、それを6カ月内に超えてしまうと再入国に6カ月を要するということもあるので、滞在し過ぎないように一度帰国をしたり、最初の1年半は何度も往復しました。滞在中に情報を集めて語学の勉強をして帰国するというサイクルでしたから、生活、滞在、言語など、2年くらいはそもそもサッカーに関わることすらできなかったですね」

──それで晴れて学生ビザを取得して、本格的に活動を始めたのですね。

「そうですね。ただまずは、学校を出るところからでした。最初に行ったところが、オランダで小中高を出ていない人に向けてオランダ語で授業をする学校で、そこに世界各国から学生が集まっていました。そこを出ると大学卒業の確率が高まるという特別な学校で、オランダ語で数学や社会、政治などの勉強したのですが、この時期が本当に楽しかったですね。同年代の各国の仲間と、同じオランダ語のレベルでしゃべったり、遊べることが最高でした。

 そこではまだサッカーはできずに、アルバイトと授業、学校の宿題で一日が終わっていました。その後、1年半で卒業して、ようやくサッカーのライセンスを取りました。そして、U-12のチームの監督になったのですが、そこがキャリアのスタートです」

(第2回へ続く⇒)https://sjn.link/news/detail/type/report/id/110

【了】

小松春生●文 text by Haruo Komatsu

記事提供:サッカーキング

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オランダ代表チーム専属分析アナリスト
白井裕之(しらい・ひろゆき)

1977年生まれ、愛知県出身。高校までサッカーを続け、18歳から指導者の道を歩み始める。24歳でオランダに渡り、複数のアマチュアクラブの育成年代のコーチ、監督を経験。卓越したトレーニングメソッドを評価され、2011-12シーズンからアヤックスのアマチュアチームへ。ゲーム・ビデオ分析担当を任された後、2013-14シーズンからアヤックス育成アカデミーのユース年代専属アナリストに就任した。オランダサッカー協会(KNVB)の分析メソッドを、より現場で共有できるものへと体系化させた「The Soccer Analytics(ザ・サッカーアナリティクス)」は日本の多くの指導者も実践。2016年10月からオランダ代表U-13、U-14、U-15カテゴリーの専属アナリストに就くなど、コーチングと同様、指導者のバックボーンを持つ分析力に絶大な信頼が集まる。KNVB指導者ライセンスTrainer/coach 3,2(UEFA C,B)を取得している。

勝つためのゲーム分析メソッド「The Soccer Analytics(ザ・サッカーアナリティクス)」の詳細はこちら
http://www.e-3shop.com/socceranalytics/
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