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スポーツメーカー企業がスポーツイベント協賛を行う真意 Vol.2

2015年11月19日 Written by

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プーマからナイキへ 1986年のFIFAワールドカップ・メキシコ大会の主役は、何と言っても、アルゼンチンのディエゴ・マラドーナ。もちろんプーマとの契約がありました。若造のくせに企画を持ち込むなどの大それたことをして、テレビ東京系列でこの大会の過去半世紀の歴史を振り返る特番を、大会開幕前日の夜に放送したのですが、この時もサッカーのCM素材がなく、制作することに・・・・・。今度はキックシーンを撮影することになり、東宝のスタジオで、プーマブランドがユニフォームをサプライしていた三菱重工の選手に出演してもらい、撮影しました。もちろん、顔は出ませんが、ハイスピードカメラというものを初めて見ました。 そんなこんなで、次のターゲットを探していると、目に留まったのが原宿駅前にあるスポーツショップ、オッシュマンズでした。ここも飛込みです。当時、会社の企画としてアメリカのESPNの映像を使ったアメリカのスポーツ情報番組が立ち上がっていて、その番組のセールスでした。この時のご担当の方も、私が今あることの恩人の一人です。番組の提供もさることながら、お店の立地が原宿駅の駅前ですから、店頭でのプロモーションが出来ないか考えていたのです。ただし、お店自体の集客力は抜群です。何もわざわざプロモーションしないと客が来ない、という状況ではありませんでした。そこで、取引のあるメーカーさんとのタイアップ、ということで、無謀にも、その店頭スペースでファッションショー的な新製品発表を行うことにしました。企画に乗ってくれたのが、当時のナイキジャパンです。この縁で、ナイキジャパンとオッシュマンズ以外のこともいろいろとお話しするうちに、「3オン3」の話しが持ち上がります。先のESPNの情報番組では、私も企画に参加していたので、番組で使用する映像や情報のセレクションをお手伝いしていました。その中で見つけたのが、「3オン3」の実施されている様子だったのです。そこで、これを日本でやろう、ということになり、スポーツ器具をアメリカから輸入していた知り合いのアメリカ人に頼んで、当時1台10万円もした簡易ゴール器具を10台買い入れることにしました。1991年のことです。 ナイキジャパンとのお付き合いは、ここから始まり、「3オン3」は、1991年に大阪のポートピアランドで開催したのを皮切りに、1992年には全国5都市。1993年には、原宿に専用施設が出来たこともあり、約5ヵ月間もの間、「3オン3」に没頭することになってしまいます。私的なお話しですが、この時、我が家は離婚危機でした。夫はほとんど家に帰らず、行商みたいなことをしている・・・・・、ってな具合です。 ナイキが「3オン3」をやってくれたのには、ひとつ大きな意味がありました。当時は、スラムダンクやNBA人気が高まっていて、ファッション的にもバスケットシューズ、特にハイカットタイプが必須アイテムになっていました。ただし、ナイキとしては、売れてはいるが、ファッションだけではブランドとしての価値は伝わっていきません。なんとか、プレーシーンの中で、ナイキのシューズの優位性をアピールしていき、やがてはコートでの使用率向上に結び付けていきたい。当時、アシックスがバスケットボールシューズでは圧倒的なシェアを誇っていたのです。結果は、目論見は成功しました。出場するチームがお揃いのウェアをナイキの製品にしてくれたことも大きかったのですが、何よりも、惜しげもなくエア・ジョーダンを履いて参加してくれる人がこれほど多いとは思いませんでした。 スポーツシーンとブランドを結びつける記号 「見る」スポーツでは、スタジアムやアリーナで観戦したり、テレビ中継で試合を見ることを通して、選手が着用するウェアや使用するシューズ、更には、試合会場に掲出される広告看板の露出効果が、最も期待するところの効果です。少なくとも、1990年代には、あまりアクティベーションやオンサイト・プロモーションなどの考えは第一義ではありませんでした。しかし、スポーツ用品は、見るだけでは、その機能性や製品の優位性は伝わりませんし、何よりもブランドとしての価値が、消費者と共感することはありません。具体的に言うと、試合に出場する選手のユニフォームや、試合会場の広告看板の、その部分だけを切り取って見ているのです。認知はされても、伝わるメッセージの力は強くはありません。それは、スポーツメーカー企業という、スポーツに直接関与する製品を売ることを生業としているからに他なりません。社名や製品名の認知率を高める効果を求めていくだけなら、一般企業はそれでいいかもしれません。所謂、広告効果ってやつです。しかし、スポーツメーカー企業は、意外にブランドの認知率は高いのです。問題は、その認知率が、ブランドが好き・・・・・という感情にまで効果が昇華されるかどうか、ということなのです。つまり、スポーツメーカー企業がスポーツイベントや大会のスポンサーとなる場合、最も重視しなければならないのは、そのイベントや大会自体とブランドとが、イメージの部分を含めて一体となった共感が醸成されるかどうか、ということになります。 しかし、意外にそれは難しいことなのです。イベントや大会は、主催者がいて、独自の価値観を創造してビジネスとして行われます。スポンサーは、その運営資金を提供しているだけ。少なくとも、それがイベントや大会の主催者の頭の中にはあると思います。それでは、一体となった共感など生み出しようがありません。例え、タイトルスポンサーとなったとしても、イベントや大会の実質的なコントロールが第三者にある限り、その効果は本当に期待するレベルには達しないでしょう。だからこそ、グラスルーツイベントなど、スポーツメーカー企業は、独自のイベントを、独自の運営手法で開催することが多くなります。ブランドが持つ価値観の中にあるスポーツシーンと、ブラントとをイコールで結びつける記号としての効果を、イベントそのものが生み出してくれるからです。ただし、イベントの運営方法を間違えると、参加者や観戦者に逆効果を与えるので、そのリスクは承知しておくべきですが・・・・・。 ナイキからはいろいろと教えてもらいました 私もナイキジャパンに極短い間でしたが在職していましたが、当時のボスであったスティーブ・ミラー氏からこんなことも言われたことを覚えています。「お前のここ数カ月は、まるでジェットコースターだな」、と・・・・・。本当にジェットコースターでした。僅か2年足らずでしたが、広告代理店や商社勤務時代にナイキとのお付き合いが長かったこともあり、2年足らずという感覚はないのですが、実感で捉えても10年くらいに感じています。そのナイキは、世界的にも、ビックイベントのスポンサーになるケースはほとんどありません。最大の理由は、前述の通りです。しかし、イベントや大会が、ナイキのブランドの価値と一体となれる場合や、ナイキが目指すマーケティング上の戦略的な価値観が、対象となるイベントや大会にあるならば、そこは積極的に踏み込んでいます。しかも、やるからには徹底的に・・・・・。 最近ブームのマラソンで、ナイキジャパンは、名古屋ウィメンズマラソンのシルバースポンサーを務めています。これは、アメリカでの「ナイキウィメンズマラソン」という女性のみを対象としたマラソン大会へのスポンサードの流れではないか、と推測します。参加費は200ドルと高いのですが、参加賞はティファニーのペンダントとフィニッシャーズTシャツ。レースの中でも様々な女性が喜ぶ仕掛けがふんだんにあり、ナイキの女性ランナーに対するアプローチを大きく後押ししています。ワシントンDCやサンフランシスコのレースには日本人も数多く参加しているようです。以前、ナイキはホノルルマラソンにもスポンサードしていたのですが、私も連れて行かれて、巨大な販売ブースなどを手伝わされましたが、現地で、ナイキ社のスタッフと相当突っ込んで議論したことを思い出します。ナイキの担当者は、ホノルルマラソンは、JALがタイトルスポンサーであり、また、マーケティング関連を日本の広告代理店(ADK)が担っていることで、日本人の参加者が非常に多いので、ナイキジャパンにとっても大きな効果がある、と言っていました。しかし、私は、「そうかなぁ・・・・・」と、疑問を呈していました。理由は定かではありませんが、ナイキは現在、ホノルルマラソンから撤退しています。恐らく、私の疑問が本当だったのかもしれません。一言で言えば、大会自体の規模や参加者の多さ、人気度は非常に高いのですが、一言、「ナイキらしくない」、と感じたことです。 私がナイキジャパンに入社する少し前、ナイキ本社には新しい組織が設立されていました。ナイキ・スポーツ・エンタテイメント(NSE)という組織です。ここは、ナイキが契約するアスリートやチームとの契約条項の中にある要件を活用して、チームならエキジビションマッチを、アスリート個人ならナイキ独自のイベントへの出演・出場を行うイベントを創り出すためのイベント集団です。組織の中には、テレビジョン部門もあり、テレビ放送権を売り、しかもその中継制作も手掛けます。このNSEが、ブラジルサッカー連盟との契約で、年間数試合のブラジル代表戦をマッチメイクできる権利を活用して、世界各国でその国の代表チームと親善試合を行いました。日本では、大阪の長居スタジアムで、日本代表とブラジル代表が対戦。闘将ドゥンガ選手がキャプテンを務めていた時のチームです。準備の経緯ではいろいろありましたが、テレビ中継制作、奇想天外な演出、そして前日を含めた数々の付帯イベントなど、ある意味でアメリカ人の底力を見せつけられました。いい意味でも、悪い意味でも・・・・・。当時の日本サッカー協会の皆さんには、本当にご面倒をおかけしたことを、いまでも苦い思い出として頭の隅に残っています。また、ゴルフでは、タイガー・ウッズ選手を招聘して、フジテレビとのタイアップで、数多くのイベントも実施しました。ゴルフ場はもちろんのこと、フジテレビ本社、そして隣接する当時は空き地だったところにはイベント広場を造成しました。フジテレビの展望台の中にナイキショップが誕生したのは、後にも先にもあれが唯一でしょう。それもこれも、ナイキのブランド価値を外部にコントロールされることなく世に示すための事業です。ここに単なる協賛では得られない目論見があるのです。1億円払ってスポンサーになることと、10億円払ってブランド独自の価値を創り出すこと。差額の9億円の対価は、十分に元が取れるのですね。 ナイキで私が最も尊敬するのは、彼がいることを知ったので入社する動機となった程の人物、スティーブ・ミラーさんと、まだワールドキャンパスが造成中だった時にお会いしたティンカー・ハットフィールド氏です。ティンカー・ハットフィールド氏は、つい先頃、マイケル・ジョーダンと共に来日していましたが、エア・ジョーダン・シリーズの3代目以降からのデザイン、エア・マックス・シリーズのデザイン、そしてクロストレーニング・シューズと、ナイキの名品と言われるフットウェアは、すべて彼の手によるものです。マイケル・ジェーフォックス主演のバック・トゥ・ザ・フューチャー2に登場する未来のシューズのデザインもそうです。今年、実物が制作されましたね。 ティンカー・ハットフィールド氏は、オレゴン大学で棒高跳びの選手だった、と言ってました。彼のコーチは、ナイキ創設者のひとり、ビル・バウワーマンです。確か私より7~8歳年上だったと記憶しているので、もう60越えですね。彼は、ナイキのフットウェアデザインについて、当時こう言ってました。「我々のデザインは、機能性を表現したもので、色や形だけではない。例えば、ビジブル・エアは、ミッドソールに窓がついているんじゃなくて、エアの横への潰れを逃がすための構造なのです。それがデザインとして、エアが見える形になった。アッパーの素材なんかもそうです。素材の違いによってカラーを使い分ける。それも機能性をデザイン化したものです。トータルでスタイリッシュになるのは、機能性に富んだフットウェアだからなのですよ」。ティンカー・ハツトフィールド氏は、オレゴン大学で建築学を専攻し、卒業後には何年か建築事務所で働いていた、とのことでした。 さて、スティーブ・ミラー氏は、本当に偶然なのですが、会って見たいと思っていたところに、ナイキジャパンのスポーツマーケティング部門のディレクターとして着任する、ということで、本気で入社しようと思いました。功績はいろいろな本などで知ってはいましたが、会うと人柄の良さと厳しさの両面があり、流石に一筋縄ではいかない人でした。その分、何でもぶつけられる人でしたし、かなりの部分は任せてもらうことができました。元々はNFLの選手から大学のコーチ、そして、確か、カンザス州立大学のアスレティックデレクターを務めていた、と記憶しています。ナイキ全体がそうなのか、彼自身の考えなのかは分かりませんが、ナイキはマーケティング部門を重用して、営業部門は意外に低く見ているように感じます。彼との最初の仕事は、先のNESのイベントだったので、アメリカ流の仕事の進め方に相当噛みつきましたが、ビジネスプランにまとめた高校スポーツに特化したイベント・スポンサーシップ・プランには非常に賛同してもらいました。アメリカでは大学スポーツ、日本では高校スポーツが、市場として最大の底辺なんだ、ということが理解されたんだと思います。結果として、高校バスケットの選抜大会、ウインターカップや、高校サッカー選手権の協賛に結びつきます。高校サッカーは、サッカー部門の戦略変更で撤退していますが、ウインターカップへの協賛は、いまだ続いています。バスケットでもサッカーでも同じでしたが、ナイキが高校スポーツを応援しているイメージを、世の中に共感として浸透させたかった、というのが本音の目的でした。だから、スポンサーでありながら、様々な事をしました。ボールを公式珠として認めてもらいましたが、当時は品質に問題があり、バスケットもサッカーも大変でした。バスケットでは、会場で毎日ボール磨きです。各コート用のカートを用意したのも初めてです。そのカートも毎日運びました。そんな姿が高体連の先生方になんとなく見られていて、次第に「業者扱い」は無くなりました。その内、いろいろ意見を聞いてもらえるようにもなりました。中には、それまで他社メーカーのベンチコートを着ていた先生が、突然ナイキに変わっていたこともあります。大会協賛をきっかけに、同僚の活躍で、次第にナイキのユニフォーム着用チームの数も増えてきました。スポーツイベントの中で、そうした総合力を発揮できるもの、スポーツメーカー企業の強みだと思います。スタッフのウェアも、提供品だからと言って粗悪なものは絶対に止めようと思いました。彼ら高校生こそ、最大のお客様なのですから・・・・・。これは、マラソン大会の時のフィニッシャーTシャツに、敢えて高機能製品を充てたのと、同じ考えです。結果的に会場中がナイキだらけになったので、冠スポンサーのご担当の方からは、散々嫌味を言われましたが・・・・・。実は、この方、NBAのスポンサーにもなってくれた以前のお得意様なのでした。 最近気になるアンダー・アーマー 大学で非常勤講師をしていた頃、やたらにアンダーアーマーのロゴが目立っていたことに驚いたことがあります。大学生の世代の人たちは、ある種の広告塔的な存在でもあり、彼らが目立つと、そこに情報発信力が生まれます。SNSの時代ですから、伝わるスピードも速い。これは、昔ナイキが大切にしていたアスレティック、オーセンティックと言った本物感覚のイメージが、影響しているようにも感じます。ナイキは、傍から見ると、本意ではなくともファッション化しすぎているようにも思います。そう見られているのか、使われ方がそうなのか・・・・・?。何れにしても、アンダーアーマーが、アメリカはもちろん、世界的に勢力を拡大していることは、間違いありません。 そのアンダーアーマーが、NAHAマラソンに協賛する、というニュースがありました。沖縄では、bjリーグ、というよりも日本で最大の観客動員数を誇る琉球ゴールデンキングスのパートナーでもあります。キングスの成功の見られるように、沖縄というところは、いい意味で閉鎖された文化があるように思います。だからこそ、一旦火が付くと広がりは早い。東京なんかでは考えられないスピードです。キングスのパートナーには、どこかが食い付くと思っていましたが、アンダーアーマーでしたね。そしてマラソン。沖縄での今後の人気度の拡大に、暫く注目です。これも、恐らく単なるイベント協賛では終わらないはずです。県内で、アメリカ・ブランドでもあるアンダーアーマーが、どんな広がりを見せていくのか、ひとつのショーケースになるように思います。 最近ブームのマラソンの話しで続けると、スポーツメーカー企業の協賛活動が目立ちます。アシックスの東京マラソンは言うに及ばず、ミズノは対抗して大阪マラソンを協賛、ニューバランスは湘南国際マラソンを協賛しています。アシックスは、海外のレースにも積極的に乗り出しており、ニューヨークシティマラソン、パリマラソン、そしてタイトルスポンサーとしてアシックスLAマラソンと、海外での売り上げ増に貢献しています。更に、最近では、ASEAN各国への進出も進めているとのことで、日本のスポーツメーカー企業の海外進出にも、スポーツイベント協賛は大いに活用されつつあるようです。 次回は、スポーツメーカー企業によるイベント協賛について、スポンサーシップを売る側からの視点で一言。

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